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金襴生地とは


「金襴」とは糸に金箔を巻きつけた金糸や、細く切った金箔を織り込み、紋様を顕わした布地です。

織物の中でも特に豪華で黄金色に輝く豪奢な文様は数ある布地の中でも最高の位に入る織物です。
一般的に【人形衣装(雛人形など)】【能衣装】【袈裟】【仏具関連用品】【表装(掛け軸)】などに用いられています。

京都西陣で織られるようになったのは、江戸時代、文禄元年(1592年)から、多くの職人によって改良が続けられ、現在の「西陣織金襴」ができるに至ります。


西陣織とは


西陣織(にしじんおり)とは、京都市の「西陣」において製織された高級絹織物の総称であり、特定の織物を意味するものではなく、生産される織物の種類はきわめて多くを数えます。

また、日本を代表する絹織物産地「西陣」は、フランスのリヨン、イタリアのミラノと並び世界的高級絹織物産地として名声を誇っています。

応仁の乱を期に大きく発展したが、応仁の乱より昔の5世紀末からこの伝統が伝えられている。
(※「西陣」と「西陣織」は「西陣織工業組合」の登録商標となっています。)

西軍の陣地
室町時代、我が国を二分する戦いとなった応仁の乱(1467-1477)が終わると、各地に離散していた織物職人たちも京都に戻り、戦乱の際に山名宗全率いる西軍の陣地が置かれていたあたりで、織物作りを再開。戦乱以前から織物の町として栄えていた京都北西部の一帯が「西陣」と呼ばれるようになったのはこの頃からで、西軍の陣地跡だから「西陣」というわけです。

京都で織物作りが始まったのは、桓武天皇によって平安京が築かれるよりも前の5世紀頃のこと。また、平安遷都とともに宮廷の織物を管理していた「織部司(おりべのつかさ)」と呼ばれる役所が置かれ、今の上京区黒門上長者町あたりに住んでいた職人に、綾・錦など高級な織物作りを奨励したのにともない、発展したといわれています。

平安時代には官営の織物工房
飛鳥時代や奈良時代を経て、やがて平安京への遷都が行われると、朝廷では絹織物技術を受け継ぐ工人(たくみ)たちを織部司(おりべのつかさ)という役所のもとに組織して、綾・錦などの高級織物を生産。
平安時代も半ばを過ぎると、こうした官営の織物工房も衰え、職人たちは織部司の東の大舎人町あたりに集まって住み、宮廷の管理下を離れた自由な織物作りを開始。「大舎人(おおとねり)の綾」、「大宮の絹」などと呼ばれる織物などが作られました。また、宋から伝えられた綾織の技を研究して、独自の唐綾を開発。神社や寺院の装飾にふさわしい重厚な織物として重宝されました。

また、大陸伝来の高機(たかはた)という技術を取り入れ、先に染めた糸を使って色柄や模様を織り出す紋織(もんおり)が可能になったのもこの頃です。こうして紋織による高級絹織物・西陣織の基礎が築かれ、その産地としての西陣が確立されたのです。そしてわが国の絹織物業の代表的存在であると同時に、京都を代表する産業となったのです。

 


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